オリンピックと言う幻想

☆ 今回のオリンピック開会式は大成功だった。オリンピックが国を挙げて何兆円もの大金を投じるに値しないド素人の大会に過ぎない事をド素人以下のプロデュース力を見せつけた開会式が如実にしてくれたからだ。

☆ まだ、世界が大きく、遠かった時には意味もあったろう。スポーツが金の成る木出なかった時には、確かに祭典だったかも知れない。しかし、いつでもITで世界がつながった今、オリンピックは意味を失った。見難い政治家や実業家と言う名前を借りたハイエナ共の道具だと分かった。

☆ 元々、オリンピックはド素人の祭典だ。一部テニスやサッカーなどプロを出さないと興行として成立しない種目を除き、選手は全員素人が原則である。素人と言う事は金を稼がないと言う意味だから、スポーツをすることで家族を養う事もなく、税金も使う事はあっても払う事は無く、GDPにも貢献しない。言い換えれば、自分の好きな事に没頭して、仕事もしない人たちである。毎日、仕事せずにゲームに夢中になっている人、マンガばかり読んでいる人と何ら変わりはない。どうして、スポーツだけ褒めたたえられるのか分からなかった。

☆ 分からないと言うと、登山家もそう。年間の事故はバイクの事故を凌ぐほど。なのに、なぜか誰もやめろと言わないし、ヘルメット一つしない。バイクでコケても大して他人には迷惑を掛けない。直ぐに見つかるし、救急車で搬送するのも極めて容易だ。そこへ行くと登山している人がひとたび遭難すれば大騒ぎだ。挙句の果てに二次遭難と悲惨な事も往々にして起きる。

☆ 多様性の時代。いい加減にスポーツだけ褒めるのは如何なものか。まして、素人の趣味に対して、コロナワクチンの開発に殆ど金も出せない様な貧乏国が数兆円も使うのは如何なものか。あのチンケな開会式が、オリンピックと言う集団幻想を覚まさせ、終わりを告げた気がする。

リサイクルを止めて地球をキレイに

☆ 一度も海にスーパーのビニール袋など捨てた事も無いのに、ストローを川に捨てた事も無いのに、どうしてプラスチックが海に溢れるのか。

☆ 捨てるペットボトルを洗うエネルギー、きれいな水はペットボトルを再生させて節約できるエネルギーより少ないのか。

☆ 石油はガソリンの状態で噴出している訳ではない。ガソリンは勿論、重油にもならないカスからプラスチックは作られている。では、プラスチックを止めたらそのカスは何処に捨てるのか。それこそ無駄じゃないのか。

☆ 分別回収のために、分別ゴミ種類ごとに小さな車で町を走りまくるガソリン、排ガス、そして、その車を作るエネルギー、排出されるCO2は、分別で節約できるエネルギー、排出を抑制できるCO2の量よりどの程度小さいのか。

☆ はっきり言おう。分別回収が始まってから、海がプラスチックで埋まってしまったのだ。

☆ 捨てるモノなのに丁寧に洗浄され、態態別々に回収されたペットボトル、ビニールバッグは、結局再生させるには新品を作るより高くつく。つまりは、再生するには選別のエネルギーも含めて多くのエネルギーを消費する(資本主義では高いと言う事は労働力も含め投下エネルギーが多い事を意味する。分からなかったら初歩から経済を勉強してください)。

☆ そのため、集めたゴミをみんなそっと自国の人には誰にも知られない様に違う国まで態々船で運んで、海岸に捨てているのだ。金を掛けたくないので、その巨大ゴミ捨て場には塀も無ければ天井も無い。風が吹けば、雨が降れば雪崩のごとく、そのゴミたちは海へと文字通り雪崩れ込む。これが、誰もわざわざ海までプラスチックを捨てに行かないのに、海がプラスチックで汚れる理由だ。

☆ プラスチックは元々石油なので燃焼エネルギーを多く出す。燃やしやすいゴミだ。今はプラスチックごみが減ったせいで、生ごみが燃えないので態々灯油をぶちまけて燃やしている。

☆ そして、日本のゴミ焼却場は高温で焼くから害物を発生する心配は無い。また、量が集中するからCO2が気になるなら、ちょっと金を掛ければCO2なんて軽く回収できる。

☆ ゴミを分別しなければ、大きな車で効率的に回収できる。ゴミなのだから洗浄する必要もなく、誰もが面倒がらずにゴミを捨てる。勿論、ペットボトルもビニール袋も纏めて捨てられる。だから、海にプラスチックが流れ込む心配はなくなる。海はキレイになる。

☆ ゴミは分別せずに出しましょう。片っ端から燃やせばいい。それがトータルライフコストが最もかからない、エネルギーの消費も少ない、サスティナブルなゴミの処理方法だ。

☆ 綺麗な水をじゃぶじゃぶ湯水のように使いゴミでしかないペットボトルをキレイにして分別回収を市町村に課して、「私は環境に配慮しているのよ」とうそぶくのはもう止めて欲しい。

 

 

 

☆ 人は見た目が100%と言うけれど

☆ 「人は見た目が100%」と言うけれど、余りに世論が情と言うか見た目に流され易いので、どうしても言わずにはいられなくなった。

☆ 雑誌は読んでいないので、あくまでテレビの報道に限る感想だが、日大の悪質タックル問題について、実際に関学の選手に対して、無防備な背中に堅いヘルメットでセ思い全体重を乗せてぶつかりに行って怪我を負わせた日大の宮川選手を擁護する報道ばかりだ。

  ついには、被害者の父親までもが、宮川選手に対する減刑の嘆願書を集めたいと言い出している。 

☆ これって、変じゃないか。

  宮川選手は言ってみれば、学校のクラスで圧倒的な力を持つイジメの中心生徒内田君に「あいつ気に入らないから、締め挙げてこい」と言われて、全く知らない何の罪もない他の生徒をケガを負わせるまで締め上げ行た挙句、ついでに当たるを幸いその辺にいた二、三人の知らない生徒も小突いてきた生徒だ。

  そして、宮川君はそのイジメを先生に見つかって、教室から追い出された時には、「いずれはみんな忘れるさ」とタカを括って、「誰にも命令なんてされてないよ」とまだイジメグループの仲間外れになるのを怖がって内田君を庇っていたら、ケガを負った生徒の親が警察に訴えだした。それで、自分がやった事はムショに入るかも知れないような事だったんだと気が付いて、「僕が悪いんじゃない。僕に締め上げろと言った内田君が悪いんだ。内田君に逆らうと仲間外れにされちゃうから、仕方なくやったんだ」と叫んでみた。 

  そうしたら、余りに命令した内田君の顔が悪人面だったのに対し、全ては内田君のせいだと叫んだ宮川君はイケメンで誠実そうだったから、みんなが「そうだ、そうだ、悪いのは影で糸を引いてる内田君だ。宮川君は悪いって謝っているんだし、イケメンの彼がそんな悪い人な訳がない。みんなで宮川君は許してあげて、また仲間になってあげよう」と教室のみんなが言い出した。

  これって、おかしくないか。

☆ イジメって、イジメの中心にいた子だけじゃなく、仲間外れになるのが怖くって何の罪もない子のイジメに加担した子も、イジメをただ黙って見ていて子もみんな悪いんじゃなかったか。「イジメてこい」と言われたら、みんなが「そんなこと出来ないよ」と言わないとイジメはどこまでも広がって、イジメは永遠になくならないだろう。

 

☆ そう、宮川選手は、そこに教唆があったにせよ、権力者からの圧力があったにせよ、犯罪をしろと言われて断れなかった人間だ。そんな選手を擁護する風潮にはぞっとする。彼がすべきだったのはきっぱりと「人を傷つけるなんて、そんな事はできません。コーチや監督は僕を犯罪者にしたいんですか。犯罪者にならなきゃ、このチームにいられないならチームを辞めます」と言う事だった筈だ。と言うよりそう言うのが法治国家日本の国民の当然あるべき姿だろう。

☆ ヤクザの親分に「玉を取って来い」と言われて、対立組織の組員を殺した鉄砲玉を誰が擁護するのだろう。だが、鉄砲玉は逆らったら組にいられないどころか、自分自身が他の組員から殺されかねないと言うのっぴきならない状況で殺しを引き受けたのにだ。

☆ ところが、宮川選手がコーチや監督の「選手を潰してこい」と言う不法な指示に従ったのは、彼自身が言ってるように「自分が今後も試合に出たい」と言う極めて自己中心的で身勝手な理由からだ。彼は鉄砲玉のように逆らえば自分の命が危うくなる訳でも、妻子を人質に取られていた訳でもなかった。学生でいられなくなるで訳でさえもなかった。ただ試合に出られなくなると言うだけのことが、人を殺傷することより大切だったと言う極めて歪な価値判断基準を持っていたに過ぎない。その宮川選手を擁護し、褒め称えかねない国民の意識と言うのは、かなり怖いものがある。

☆ 被害にあった選手の怪我は偶々比較的軽いものだったが、それは被害にあった選手が日頃からよく鍛え上げた身体の持ち主だったからに過ぎない。普通の人間なら、背骨が折れて死んでいたかも知れない。いや、普通の人間でなくても、被害にあった選手でも宮川選手のヘルメットがほんの少し別のところに当たっていたら、死にはしなくても半身不随になっていたかもしれない。

☆ 「人を傷つけてこい」と言われて否定もせず、そのまま人を傷つけたような人間でも、その人間がイケメンで誠実そうに見える限りは許してしまう。そんな社会は幼稚に過ぎないか。